今週末、またも充実した時間をいただいた2日間でした。そんな中で感じた、にわとりのお話と人生いろいろのお話。
美味しいお夜食。近況報告に話題は尽きず。
4時半、にわとりの声で目覚めて。
お庭のゆずでゆずコーディアル作り。
モロヘイヤ、バジル、オクラの種とり。
薪を扱う生活が日常にあるお家の子どもたちはたくましいです。
割り方を教えてもらいました。
お昼ごはんに、ちっこい職人さんたちがおうどんを打ってくれました♡
三重の小麦粉あやひかり、お塩、水。シンプル材料でつるつるしこしこもちもち!
打ちたて、茹でたてのおうどんはつやつやぴかぴか♡
あぁほんと美味しかった!
にわとりたちのお家に生えている、レモンと金柑とゆずの木たち。
すごい元気で実がたくさん!
貝殻をあげないでいると、自分たちの卵をつついて殻を食べてしまうことがあります。
さてここで「にわとりのいじめ」について。
にわとりって多頭飼いするといじめがおきる場合があります。
ターゲットになってしまった怯えきったにわとりを見ると、
なんだかどうしても人間の世界と重ね合せてしまって苦しくなります。
三羽からいじめがおきやすくなり、
そんなとこも、三人から団体意識となる人間と似ているなぁなんて重ねてしまいます。
そして優劣順位が出来、いじめ(に見える力関係)がおきる。
ただ単に自分のストレス発散に攻撃している場合もあります。
攻撃には快楽が伴い、それがすり込まれ、とことんターゲットを攻撃します。よってたかって。
んー、にわとりの事として書いてるのにやっぱ嫌な気分。
私はつがいでしかにわとりを飼ったことが無いので、
多頭飼いしているところでのそのいじめ光景、怯えきって逃げまどうにわとりを初めて見たときは衝撃でした。
その光景を見ると、ターゲット以外のにわとりを全部シバき倒したくなります(笑)
にわとりは品種改良によって、就巣本能、いわゆる母性が失われている場合が多々あると昔学びました。
しかし身近に、自由な環境でにわとりを飼っている家が多くて、
そんなにわとりたちを見てたらそんなことないんじゃないかなーと思えてきました。
大体毎日1個ずつ卵を生んで、1週間から10日ぐらいたって、自分が抱えてあたためられる最大の個数になったら、産卵をやめてあたため始めます。
それまでに産んだ卵はそれまでほったらかしでなにもしない。
ので、その間に見るとにわとりは卵をあたためるのを放棄したのかな?と思ってしまう。
けれどちゃんと後に時がきたらあたためる。
このにわとりたちは、以前テンに卵を食べられたことがあったそうで、
地面に産むことをせず、物置内の高くて奥まった位置まで入り込み、そこにあった発泡スチロールの中に産みためていたのだそうです。
9個卵を産んで、それが全部ひよこに孵ったって。見たかったなぁ!
料理の際に出る野菜の皮や種や茎を米ぬかと混ぜて発酵させた餌や、牡蠣の殻、自然に生える草たちを食べて育ってるにわとりたち。
かれらの糞が土に還って、土の上に落ちた餌の米ぬかや野菜屑や牡蠣殻と合わさって発酵して、
とても良いボカシになってるから、レモンや金柑や柚子がとても元気で実もたわわなんだろうなぁ。
さくらんぼには強すぎるみたいで弱ってた。
草の種まで食べてるみたいで木の周りには草が全然生えていない。
それぞれの木の根元が窪んでいて、どうやらにわとりたちが掘ってるみたい。
多分、根の周りに集まる微生物か虫を食べるために掘ってる。
予想だけど、その穴があるから草が生えてなくても土の中の空気が通って木々の根が呼吸出来てる。
なんだかちいさな中にぎゅっと凝縮した相互世界を見た気がした。
生きるっていろいろ。
にわとりや植物たち、土の中の世界に重ね合わせて、いろいろを考えた2日間でした。
ふと、もし自分に色をつけるとしたら、白がいいなぁなんて考えたり。
何色にでも溶け込んで、そしてワントーン明るくできる。そんな単純なイメージ。
人生いろいろ。
相手を想うということ。一方的な想いや優しさは、元の心が善であっても、相手にとっては時に凶器となってしまうことがあります。
お互いがお互いを想うかたちって、シンプルだけれど、とても難しい。
馴れ近づくほどに自我や承認欲求が強くなってしまったり。
けれどそれはひととして自然な感情で、そのバランスをお互いに取り合えて自然に受けとめ合える相手と供にすごす時は、とても豊かで純粋に幸せを感じる。
耳に聞こえる言葉や、目に見える態度とかからだけではなく。
気が合う、とか、波長が合う、とかって、そういうことを言うのかなぁと。
いつも聞くくらいしか出来ないけど、
自分の選択を信じて幸せを素直に感じられる日々が、
そう自然に想える時が少しでも早く来ますようにと、
「いろいろ」を考えつつ私の大切なひとの幸せを心から願った週末でした。
大変なこと、思う通りにはいかないこと、たくさんあるだろうけれど、
ちゃんと見てるひとが必ずいる。
自分を卑下しちゃうと、他人も卑下しちゃうようになっちゃう。
逆もしかりで、他人を卑下する人は、自分をも卑下する。
こんなに素敵な経験を創ってきていること、心から尊敬しています。
今も、目の前のお庭にも、お家の中にも。
「○○のためだから」「○○でなければ」まっすぐだからこそ想うこと。
けれど今は、まずは自分のために、
ただただ、自分を癒して。
また一緒に楽しいことして笑おうね。
コメントを残す