最近ね、自分たちが生みだした会社をみんなで育てるのも、「つくる暮らし」の一部だと再認識してます。私たちが5人と鍬1本から始めた「合同会社つむぎて」

共に生みだし共に「つくる」ことにコントロールは必要ないと思っているので、私たちは組織化をしていません。組織化しないと面倒なこととか超遠回りなこととか全然進まないこととか、問題が起きることばっかりです(笑)とってもね、みんながみんな、それぞれに、いろんなことに様々な忍耐や努力がいりますよ。

非効率であるということは百も承知の上で、私たちはあえてそれを選択しています。それを乗り越え続けた時に強くなるつながりと深まる理解を感じた時、自分たちの手で「つくる」という喜びを深く感じるからです。

良いも悪いもあってこその深まり。問題を避けない、放棄しない、傍観しない。それこそが、自分自身が生みだしたことに対する「愛情」と呼べるものかなぁと。愛情は努力や忍耐を要するもの。だからこそ根強く深まるんだなぁって。

春は暖かくなり、自然と動き出したくなります。いろんなエンジンがかかり出す時期。
夢見るようにわくわくと気持ちが前向きになる春。昔のひとびとは、桜のことを夢見草と呼んだとか。

そして桜も終わり、春土用。土用は動土を慎しむ期間。

動き出した様々なことに感謝し、春に浮き足立ちがちな気持ちを静め、基盤を動かさず自身の中で育む時期だとも感じています。

と、いうわけで、久しぶりに自分の言葉と向き合う時間を作り、この文章を書いています。

今日(4月21日)は春土用の丑の日。戌にちなんで「い」の付くもの。と言えば、みどりの里・野中さんのいちご。と言うわけで今日は、お会いできた方々に、ちびいちごちゃんたちをプレゼントしました。

腐敗せず枯れゆくいちご。香りが凝縮されて、とても素敵な香り。

さてさて、長久手の放棄地も少しずつ動き出しています。

以前、野中さんが放棄地に足を運んでくださり、先ずは試験的に果樹を植えることをアドバイスくださったのです。


スタンレイ、白ゆすら梅、サルナシ、リスボンレモンの4種を、加藤さんと前田さんが植樹。

木の変化を観察するのが楽しくって、放棄地へ立ち入る時がすごく増えました。野中さんのおっしゃってた通りに、とても楽しみが増えました。

10年後、20年後、30年後、この果樹たちがどう育っていくのかを想像して、わくわくしてます。

早速ゆすら梅がお花を咲かせてくれて。

どんな景色になるのか、30年後の広い風景を思い浮かべる。こんなことを考えるって今まで無かった。自分の足元だけの、狭い景色の想像はしてたけど。

こういう想いを感じさせていただけることが、とても恵まれていて贅沢なことだなぁと思うのです。もうなんていうか、とてもロマンを感じる。

自然と近い位置で活動をしていると、いろんなことの成長過程をよく観察するようになります。そうすると「奇跡」という言葉を使うことを、躊躇するようになります。奇跡なんてないのかもしれないなぁなんて、思ったりもします。

 

遠巻きに結果だけを見ると「奇跡」に感じる。けれど、そこに行き着く間に起きていることを注意深く観察して本質を知ると、ほとんどのことはなるべくしてなった結果だからです。

見えない苦労や努力。日々の姿勢。生きかた。
現実は、魅力あること、美しいことばかりじゃない。だからこそ理想を追いかけたくなる。夢見て、奇跡を信じたくなる。

 

なんだかんだ言ったって、理想を追いかけ、奇跡を信じ、苦労なんかしてなくて毎日楽しそうな要領のいいひとになりたいなぁなんて思っちゃうわけです。私はいっつもそう思ってます(笑)
けれど現実を放棄してちゃいけないなと。

私は自由なひとが大好きで。責任を他人任せにしないひとや、理由を他人に向けないひとって、とても自由できらきらと輝いて見えるんです。自由と勝手って、一見すごく似てるけど大分違う。

 

植物もね、勝手に自分都合で成長すると、結局アレロパシーで自滅したりします。もしくは他の植物と争って駆逐されたり、ひとに厄介者としてみなされ駆除されたり。

 

活き活きと魅力ある植物って、自由に成長してる。けれど、好きなように生きてるように見えて、実は周りとの様々なバランスをすごーく色々と保ちつつ自身を成長させてる。よーく観察してると、彼らはバランスを保つために自身を抑制したりもしてる。けど、それは彼らにとっては不自由ではなくて、結果すごく自由なんです。このニュアンス、伝わるかなぁ。

ひとも同じくだなぁと思うのです。
私たちは自分のしたいことだけに照準を合わせがち。当たり前だけど、生きていれば、自分以外に関わっているひとがいるのに。

 

たとえば身近なひとへ対する「愛しい」って感情。素晴らしい感情なのに、それが自分都合に傾くと、途端にとっても危険な感情に変わったりします。可愛さ余って憎さ百倍だもの(笑)
近すぎて見えないこと、見ようとしてないこと。近いと悪い部分ばかり目立ったり、遠いと良い部分ばかり目立ったり。うーん、不思議!

周りとの関わりのバランス。関わりこそが、命につながるちからに直結してるんじゃないかなって最近尚更感じます。ひとも、植物も。

おや?なんだかとりとめの無い文章になってしまったけど、自分の中に向き合った記録として投稿しちゃいます(笑)

とにもかくにも、今年も自然から、循環する関係性というものをたくさん学ばせていただいてます。

しかし、「育てる」「つくる」って、ほんと大変!次から次へと、やることばっかり、苦労ばっかりなのはなぜだぁ!(笑)

なのにたまーに感じる喜びと学びの深さがかけがえなくて。きっと私は生きてる限り、ずっとこの生きかたのまま。

そんなこんなを考える、静かな春土用の夜です。