雑草への恩返し

「土に立つ者は倒れず 土に活きる者は飢えず 土を護る者は滅びず」

長久手にて、耕作放棄地開墾から農作を始めて10年目という、とある喫茶店のマスターから教えていただいた言葉。

あっという間に4月ですね! 書きたいことは日々たくさん起きるのに、なかなか文章を書けずにいました。

譲位の日が近づき、様々なことが変わりつつある今、平成最後の月の内に文章に向き合い自身の心も整頓しておきたいなと思い、久しぶりのブログ更新です。

こうした活動をしていると、様々な壁にあたります。それはもう、次から次へと(笑)

どう乗り越えようかと悩む時、私はいつも、周りの方々から教えていただける様々な「言葉」に救われています。

ある日、私たちつむぎてが継続していきたい活動をディスカッションしていた時、とある女性が

「雑草への恩返し」

という表現をしてくださいました。

『あなたたちの活動は「雑草への恩返し」の様ですね』と。

私たちが実現していきたいことの根本を、とてもシンプルに的確に表現してくださって、凄く嬉しくて。

私は幼い頃、道端のイヌフグリの可愛さや、四つ葉のクローバーを見つけた時の嬉しさに、楽しみを見出だしてました。そんな些細なことだけど、人ってそんな些細なことが、幼い頃の「小さな幸せ」としてずっと心に残っているものではないでしょうか。

小さな幸せを与え続けてくれている植物たちに、もうそろそろ恩返ししようよ。

雑草とひとくくりにされ、人の都合のみでコントロールすることばかりが優先されてきた植物たち。

これからはせめて少しでも活かすことに知恵を使い、

「雑草への恩返し」

をみんなでしようよ。

私は、自然に関わることがただ単純に心地良くて大好き。大好きだから、どうしたら恩返しが出来るかな、と考えることが楽しい。

自然に恩返しだなんて凄く難しいことだけれど、それを楽しんで考えていると、難しいことにチャレンジし続けられるパワーが出る。

その心地よさや楽しさ、そしてその難しさも、実際に現場で自然に触れ続けていないと感じられないこと。

自分たちの活動の根本を、再確認させていただけた時間でした。

そして、一番最初に書いた言葉からもまた、色々な想いを巡らさせていただきました。マスターから、東京農業大学創立者 横井時敬博士が残した言葉と教えていただき、横井博士について調べてみたら、

「農学栄えて農業滅ぶ」

という警世の辞を残されていました。

農業教育の発展に尽力した方が、なぜこのような言葉を残されたのか。不思議に感じて色々と調べていたら、なるほど!と思う考察を拝見したので、要点を以下に抜粋します。

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本来、農業は生活だった。

生活としてみれば生きていく原点としての農の価値や資源がそこに見えてくる。

しかし、生きる価値を論じることは研究からは客観的でないとして遠ざけられた。

研究発表することで専門家としての立場は守られるが、実学が軽視されると農家や農業は見えなくなり、農業を守る場からはますます遠くなってしまう。

「農業のことは農民に聞け」から「農業のことは経済学に聞け」になり、経済学が農業を支配する社会になってしまった。

そして現場を蔑視する教師から現場を軽視する学生が育ち、農業に直接従事する機会や熱意がないから農業関連の公務員や団体・企業に就職する。

まさに「農学栄えて農業滅ぶ」は農学系大学によって加速され、今や農学も農業も絶滅危惧種となってしまった。

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横井博士は、日本の農業技術第1号である塩水選を考案した方であり、その当時の様々な問題を学問的裏付けに基づいて論じ、農業教育の発展に尽力した方。

農学を育てたであろう方が

「農学栄えて農業滅ぶ」

という言葉を残されたということ。

今って、易しいことが難しくなってしまっていて、単純なことが複雑にされてしまってると感じます。

現代は色々と積み重なった様々な深い問題があるので、様々なことを知れば知るほど、安易に表現出来なくなってきます。難しい世の中ですね。

卓上の理論だけでは育たない。描くだけでは現実にならない。情報を作るだけでは現実は変わらない。

そして、人がしてきた都合の良いことは、全て人の不都合となって返ってくる。そんな風に感じます。

そういえば、狩猟の時代って、人々の殺し合いの争いは無かったのだそうです。農耕が始まり「この土地は○○のもの」という意識が生まれてから、人々の殺し合いは始まったとか。

もうひとつ、横井博士は、このような言葉も残されています。

「物質主義に溺れることなく心身共に健全で、いかなる逆境にも挫けない気骨と主体性の持ち主たれ」

思い返すと私は、心身共にそりゃぁもう不健全だったなぁと(笑)

主体性を持たずに物質主義に溺れ、逆境をいかに避けて通るかが「現代を生きる術」だと、勘違いしていたわけです。

当時は「楽しさ」と「楽」をはき違えて、気付いた時には、心も身体もボロボロ(笑)

依存症に苦しんでいた父の姿、自身の身体のことを通じて、なんとかしたいのに方法も分からず。必死で改善してるつもりで、結局何も根本の解決を出来ていなかった自分の不甲斐なさだけが残りました。

そんな生き方を変えたいなと思っていた矢先に、それまでの自分とは違う生き方をしている人々との出逢いがありました。

その人たちと同じ目線で世の中を見てみたくて、何も分からないまま、考えるより先に、体当たりで活動に取り組むようになりました。

その活動のひとつである放棄地の開墾に取り組む中で、刈っても刈っても強く生えてくる雑草たちから、「いかなる逆境にも挫けない」ということを学びました。

刈られようと、薬品で駆逐されようと、人々に踏み潰されようと、雑草たちは、自身で「役割と居場所」を見つけて芽吹いている。

その強さから学ぶことがたくさんありました。

人が再生しようとするときにも「役割と居場所」が大切なのではないか、と。

うーむ、この辺りのことを書き出すとまた長くなっちゃう(既に長いけど 笑)ので、今回は締めます(笑)

まとめますと、

どんな人にでも「役割と居場所」がある。そう信じ続けたいから、私はこの活動を続けているのだと再認識しました。

様々に変わりゆく現代で生きるために、方法や手段を柔軟に変えながらも、この根本の想いは変わらない。

実践しないと、その楽しさも難しさも分からない。思うだけでは叶わない。けれど、現場だけに必死になってしまっていると、その大変さから、初心を見失ってしまう時もあります。

変わった方がいいこと、変わらない方がいいこと。私にとって、とても大切なことを気付かせ続けてくれている周りの人々との縁は、かけがえのない恵みです。

そして、言葉は無くとも、その姿で示してくれる雑草たち。

これからも私たちつむぎては、愛情と尊敬の念をこめて、あえて彼らを「雑草」と呼び続け、どうしたら彼らに恩返しが出来るのかを楽しく考えていきます♪

最後に。豊かな「生活」って、なんなんでしょうね?

どんな人でも必ず共通して経験することは、誰しもいつか「この世を去る」ということ。

私は、

『豊かな生活だったなぁ』

よりも、

『豊かな「人生」だったなぁ』

って、去り際には感じたいです。

去り際に心地よく思い出せるような日々を生きたい。周りの方々のあたたかさから学び、活かす幸せを感じることのできる心を自身の中にも育みたい。

物質主義に溺れていないでしょうか? 心も身体も、本当に健全でしょうか?

ふとしたときに足元を見ると、雑草たちからその答えを教えてもらえるかもしれません。

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1 コメント

  1. 喜久子

    素晴らしい コメントですね。
    今活きる我々だからこそ 今足元を 見つめ 毎日に感謝して 過ごしたいと この文章から 教わりました。
    有難う

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