非常事態の時に、希望のある選択が出来ること。無い中で、有るものを見つけられる力。その有るものの中で最善を考えること。不便な中には有り難みを感じる心が生まれる。
現代は、いろんなことが便利すぎるのではないかと思います。
思考の根本。自然を活かす力。人には本来その力が備わっているはず。
どんなことが起きたって、健康な身体と心があれば乗り越えられる。
上記の文は、2019年4月の頭に書き留めていた文章です。思い付いたことをメモに書き留める癖があり、ふとした時に見返すようにしています。
昨夜、ふと去年の今頃って何を書いていたのかなと読み返したら、上記の言葉を書き留めていました。今ってまさに「そういう時」なのではと思います。
自然の流れが感じられる生活がしたいと、生き方を変えてから、ずっと同じことを思い続け、言い続けています。けれど、今までは真意が伝わり辛くて、限られた方々にしか届かなかった。
なんででしょうね、3.11しかり、大きな悲しい出来事が起こった後には、大多数の方々の意識が自然環境に一旦は向く。けれど、一過性だったり、「エコ」などの名の元に良く分からない商売になってたり。利を追わなければいけない現代ではしょうがないことなのでしょうか。
世界的に大きな悲しい出来事となった今なら、少し真意が伝わるかなぁと思い、久しぶりにブログを書いています。
先日、Facebookでつながりのある方が、乙武洋匡さんのnote記事をシェアなさっていて、その文章にとても共感しました。https://note.com/h_ototake/n/n421eb8211e0a
言葉を引用させていただきます。
「あんなに進まなかったのにね」
「あれだけ熱望したのに、あれだけ声を上げていたのに、ちっとも耳を傾けてもらえなかった。ところが、いざ「自分たち」が同じような困難に直面したら、これだけスピーディーに、これだけダイナミックに世の中は変わっていくんだなって。やっぱり、ちょっと、悔しいんですよ。
やっぱり、この社会は「多数派」のためにできているんだな、って。」
「いつかは長いトンネルを抜けてこのコロナ禍も収束し、やがてみなさんも“日常”へと戻っていくことでしょう。
でも。
そんな、みなさんの“日常”に戻れない人々がいることを忘れずにいてほしいのです。」
「選択肢を増やそう。そうすることで、社会から排除される人がいなくなるから。これまで排除されてきた人が救われるから。」
今、とても共感する言葉です。
いつもは周りの地主さん方しか見かけない畑に、見たことのない方々がお散歩にいらっしゃるようになりました。知らない子どもたちが畑で遊んでいたり。
こういったときに、自然に触れたいと考え、畑に足を向けてくれることはとても嬉しいことです。けれど、一過性のことになっては意味がないと感じます。
私たちが管理させていただいている圃場は、福祉施設の方々と協働して維持継続しています。一般的な「社会」に馴染みにくい方々の「役割」や「居場所」が、耕作放棄地にはたくさんあると感じて、なんとか形を作りたいと試行錯誤してきました。
現に、ここで一緒に圃場の手入れをする時、みんなの表情がとても豊かになっているように、私には見えます。この形を、継続していけるようにしたい。
言葉を選ばす、乱暴な表現をしてしまいますが、耕作放棄地って、放棄されている時は、見て見ぬふりされる場合が多いのです。知ってるけど、誰もなにもしない。例えば誰かが手を入れだしても、それが成り立つまで、見て見ぬふり。
不思議なもので、ある程度形が成り立ってくると、関わってくださる方々が増えてきます。そこまで続けて進めるのが本当に大変。
レジャー的に楽しんでくださる方々はいて、であれば、現代のその流れに添うしかないのかと考えたりもしました。エンタメにしないと、価値を感じていただけないのかと。
大切なことなのに、どうしてこんなに真意が伝わり辛いんだろうって。
今なら、もう少し、農地の大切さを、自然に極力負荷が少ない栽培方法の価値を、感じていただけるのではと思います。
そうそう、昨日、仕事の帰り道に大型ショッピングモール前の道を通ったら満車状態でビックリしました。外出自粛で自炊が多くなって、大型スーパーが栄えてるのだと思いますが、不要不急なお買い物をしてる人も多いのでは、と。
急を要してないのにストックする人が多くなったら、本当に必要な人に行き渡らなくなってしまいます。
マスクやトイレットペーパーしかり、なんだかなぁと切なくなってしまう。不要不急な買い物こそ、避けた方が良いと思う。
外出自粛で、考える時が増えたかと思います。無駄なストックを増やすのではなくて、根本的な解決策を見出だそう。
今、もし不便を感じているのなら、それは自分を含む「人」が積み重ねて来たことの結果。
人がしたことは、巡りめぐって、必ず人に返ってきます。人がしてきた都合の良いことは、全て人の不都合となって返ってくる。「便利」が「利」になる生き方は、この地球上ではもう限界なんじゃないかな? 過剰な便利を追うのはもうやめようよ。もう充分すぎるほど、私たちの生活は便利なんだから。
便利に馴れてる私たちが不便なことをするのはとても大変。けれど、今だからこそ、あえて不便なことをやってみて。今ある便利がとても大切に思えるはず。そしたらもっと、今の状況を根本から考えられるはず。過剰に求めることも無くなるはず。
こんなこと書いてるけど、私も、まだまだまだ。出来ないことだらけだけど、自然に添った畑から大切なことを教えてもらいながら、行動を変えていきます。
自然を大切に活かし、排除せず他を想い、本当の意味での「心地良い生活」を送ることに、価値を見出だしてくださる方々が増えることを願います。
ひとりひとりの思考や、行動で、選択肢を増やそう。こういう時こそ「他」を想う選択を。
それは結果的に、自分自身を大切にするということに必ずつながるのだから。
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