いつも様々なイベントを開催するたびに思うこと。「発酵する場」ってどういうことか。
発酵って、目に見えない微生物たちの力によるもの。
目には見えずとも、食材を人にとって有効なものに変えてくれる微生物たち。
自然界で枯死した植物、動物の遺体や排泄物などは、微生物の力によって分解されて最終的には二酸化炭素・水・無機物が生み出される。
自然界の仕組みであり、循環する生態系。
分解は微生物たちにとっての食事。
その食事の過程で新たな成分が生まれ、それが人にとって有効であれば「発酵」
人の価値基準ではありますが、「発酵」は、生物起源のプロセス。
私たち人の目には見えないところで、微生物たちはたくさんの力を発揮してくれています。
「発酵」ということを知るにつれて、「場の在り方」や「人と人との関係性」に重なる部分をとても感じるのです。
数年前の自分は、「微生物???なんのこと???」状態でした。
良い雰囲気の場や、良い空気が流れる場には、表立っては見えない力をその場に注いでいる方々が必ずいます。
見えずとも、静かに、確実に。
目に見えない動きや、働きが。
見えない所で行動していること、行動してくださっている人々がいるからこそ場が出来、場が活きる。
場が醸されるきっかけとなるのは、そういう「縁の下の力持ち」な存在。
その場への思いを込めて見えない所でも力を注いでくださるということ。
見えないから、どんな様に動いているのかどんな風に力が注がれているのか、周りからは分かり辛いのです。
その力がその場へつながった時に、その力って改めて活き活きと生きる。
場の活力になる。
とても、大切な存在。
もしかしたら、その存在は、大きな成果や結果など望んでいないのかもしれない。
ただただ、純粋に、その場で自身に出来ることを選択しているだけなのかもしれない。
けれどその存在は、その場が円滑に進歩するかけがえのない支えであり、
そういった存在無くして良き場は出来ないと感じるのです。
「発酵」と「腐敗」は単純に言うと同じ行程。
けれど結果は正反対。
「腐敗する場」を見ていると、マイナスの感情や自我のみの感情で、
見えない所でも力を使ってる場合が多いのではないかなぁと感じます。
腐敗しない、ということ。
微生物が活き活きと力を発揮できる環境や素材が大切。
けれど、環境だけがあっても、素材だけがあっても、変化は生まれない。
微生物の存在だけでは新たな成分も生まれない。
その場を創るひと、その場に集うひと、縁の下の力持ちなひと、
その場への様々な想いと様々なひとの見えざる力がつながり合わさって和を成して、
「発酵」し「循環」する「場」となる。
そこにもつながるように感じて考えを深めるたびわくわくします。
松本国昭
すばらしい文章と写真の構成です。いつもながら、ワクワクさせてくれるのは、sayakaさんが、真剣に学び遊ぼうとしているからだろう。いつも進化する姿が伸びやかで素敵です。
IwaseSayaka
松本さんにそう言っていただけるなんて、とても光栄です!
まだまだまだですが、常に学び、そして遊び楽しみ、日々進化を続けてまいります。