土用は動土を慎む時。土用があけたら、また怒涛の毎日がやってきます。

ちょっとその前に、思うところを文章に書き出して頭の整頓。

最近ね、大人のお話(お金の話)がよく話題に上がります。笑

あと、働きかたとか、仕事とはとか、報酬の得かたとか。

それについて私なりに思うこと。

あと、「過程を知るということ」とか「使いかた」とかについて、改めて感じることがありました。考えるばかりだと頭ショートしちゃうので、書き出して頭の整頓!

そうだなぁ、先ずは、常日頃、私たちが無償で行っていること。

そんなもんね、大体ね、毎日毎日、泥まみれの虫まみれで汗だくになりながら、自分が女なんだか男なんだかも分かんなくなるような肉体労働して、だーれもいない放棄地で耕運機と格闘してぶつぶつ独り言言ってる自分をうわ私キモいかもとか思ったり、別に誰に頼まれた訳でもないのに共有の場所を常日頃手入れして、知らない人たちが捨てていったゴミを処理したり散らかしたままの場所を掃除したりして、そんでもってそういうことって地味だから目立たないわけで、自分でもなんで続けてんのか不思議なわけです。笑

あー、一気に書いてやった!すっきり!笑

ほんっとに大変なの!!なのに私は、これらのことが楽しくって、自分の仕事だと思って取り組んじゃってる。仕事なのに、なぜ無償でも行ってるかというと、この場所が好きだから。

なんで大変なのに楽しいんだろ、とか、なんでキツいのに続けてるのかなぁとか、色々と想い巡らすと、たくさんの理由があるのですが、いつも結局最終的な答えはシンプルで。
ここが好きだから、だよなぁって。

誤解の無いように書いておきますが、私はお金大好きです。笑
素晴らしく美しいツールだと思ってます。仕事したら、報酬をいただく。当たり前のことです。ちゃんとお金ちょうだい!笑

そんな守銭奴な私が、なんでお金にもならなくて地味でキツくて人のやらないようなことを無償で続けてるのかというと、お金に変えられない価値をそこから得てるからです。

お金で買えない価値もね、たくさんありますよ。
そうです、プライスレス!

お金を汚くするのも美しくするのも人次第で。腐敗する場と発酵する場、そんなことにも共通するなぁなんて。それは、生き方にもつながるよなぁ、とか。

お金を得る仕事、お金ではない価値を得る仕事。報酬の形もそれぞれだよなぁって。

どうして、無償で行っている幾多のこと全ても、仕事だと思って取り組んでいるのか。

無償なら遊びのが楽じゃん?責任なんか負わずに気楽にやったらいいじゃん!って思いがちですが(そんなん私だけ?笑)

私は根がグータラなので、遊びでは何事も続かないからです。楽して終わっちゃう笑

仕事となると楽しいことばかりじゃない。けれど、その楽しくないことをいかに楽しめるかが大人のすること。

楽しみや意義を見出だすのは自分次第。貢献心を持ってするときって、必然的に自身で何かしらの成果を見出だすから、私にとっては金銭的報酬がなくとも仕事なのです。

仕事好きだし、大人である残りの人生を楽しく生きたいのです。が、大事なのは、これらのことは自己満足の中での話だということ。

例えば、色んな人が関わる場を維持継続していくには、現実的な金銭や物や労力が必要。現代で生きていくにはお金が必要なことがたくさん。商売も考えなくてはいけないです。
商売してて、お金いらないわ!とか言えないし。

うーん、なんというか、表現が難しいのですが、

貢献心と商売をごちゃ混ぜにしちゃいけないよなぁと感じるのです。

商売の利のために貢献心を利用したり、貢献心により継続されている場を利己的に使ったり。
そんな風景を幾多となく見て、感じて、哀しさを感じてきました。

場を継続するための貢献心と、現実に場を維持するための商売は、別の次元の話。

んー、今ね、自分の頭の中を整頓するためにもこの文章を書いてますが、なんだかもしや当たり前の話書いてる?笑

こういう活動をしだしてから、商売をするときに過剰な利を求めなくなりました。もちろん、利益無いと商売成り立たないんだけど、適切な利さえあれば、またその利を次のことにつなげてまわせる。広げることができる。

お金を楽しく得て、美しく使う。

どういうことをして、何で、お金を得るのか。どこに、何に、お金を使うのか。

価値を見誤らないように。

場や、物や、事の本質的な価値を見出だすには、「それ」が自分の手元に来るまでの「過程」を「知る」ことがとても大事。

「知る」と人生ってとても深まります。

でね、「知る」って、やっぱり自ら動いて自分の目で確かめて実感しないと分からないんだと思うの。

んーーー、なんか話がそれてきちゃった! 色々書いちゃったけど、結局何が一番書きたかったかっていうと、
場を維持するって大変なのよ!ってこと。笑

たとえば杁ノ洞。

ひとりじゃ絶対に出来ないことで、色んな方々が気持ちを添わせてくださり、みんなが労力も時間もかけてくださって、この場が継続出来てきています。

先日、ここでちょっとびっくりすることがあって。やはり、その場やその物が出来ている過程を知らないと扱い方が違うんだなと、改めて哀しくなることがありまして。

例えばね、ほんとたとえば、だけど、自分の部屋に帰ってドアを開けたら、誰かが勝手に入ってなんか部屋が荒れててゴミが捨てられてたって、想像してみてください。嫌じゃない?

そんな、至極基本的なことなのです。

これね、書こうかどうしようかとても迷いました。けど書いちゃう!

ここはね、公園ではないのですよ。
マゼンタさんやサクラワークスさんが農福連携での役割を造ろうと想いを添わせている場です。

地主さんがいらして、マゼンタさんが利用権の設定をして、

色んな人たちが開墾を行ってくださり、

放棄地にある資源を活用するために様々な職人さんが素敵な建造物造りに貢献してくださっていたり。

今現在は、様々な人たちの貢献心のみで育み維持継続されている場です。

いつでも、誰でも、自由に場を楽しめるように、放棄地を活きる場へと育んでいきたい。
そう思い続けていますが、常日頃の維持に対する労力を知らないと、基本的なことすら分からない場合が多いのではと感じて、悩んだ末にやっぱり書いちゃいました。柵をつくったり、立ち入り禁止の場所をつくったり、細かいルールをつくったりはしたくないのです。

四谷千枚田にある看板。保存会の方々が、どういった思いでこの看板を立てたのか。

私は、出掛けた先で、こういった看板を目にする度にとても切なくなります。

美しい風景を感じに来ているはずなのに、どうしてそこにゴミを捨てていけるの?

「お願いですからゴミは捨てないでください」

その地を守ってる人たちが、こんな看板を立てなくてはいけないなんて哀しすぎるよ。

杁ノ洞へ遊びに来てくださった時には、難しいこと考えずに自然の恵みを楽しんでいただきたいんです。元は放棄地だった場所。いろんな人が来てくださると場が喜びます。道をお散歩いただくだけでも、草たちの管理が和らぎます。

例えば、お散歩してるその一瞬だけでも良いから、共にこの場を育んでるんだなぁって想いながら、場を楽しんでいただけたら嬉しいのです。

場造りをしている人々の想いを、大切にしていただきたいのです。

この場を育てるお手伝いをしているひとりとして、心から、お願いいたします。

合同会社つむぎて 清佳

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